門司港めぐるとは

【みんなの声】門司港駅の謎をめぐる~105年目の真実~

2018.11.29

今回の案内人は門司港駅松尾駅長feat.ウチヤマさんです。

駅長が案内してくださるということもあり、たくさんのお申し込みをいただきました。

グランドオープンが近づき、注目が集まる中、改めて門司港駅を学びましょう。

 

集合場所の旧門司三井倶楽部にて、まずはウチヤマさんから座学を受けます。

門司港や駅の歴史について一通り学んだあと、いざ出発!門司港をめぐりながら門司港駅の謎に迫ります。

 

門鉄会館と門鉄ビルは兄弟!?

旧門司三井倶楽部を出て真向かいに建つ旧JR九州本社ビル↑は、昭和初期に三井物産門司支店として建設されました。

同じく三井物産門司支店の社交クラブとして、旧門司三井倶楽部は大正10年に建築されました。

これら二つの建物は戦後に国鉄の所有となり、「門鉄会館」・「門鉄ビル」の名称で長く親しまれました。

関係が深い門鉄会館と門鉄ビルですが、兄弟と言われている理由は、それだけではありません。

実は、門鉄会館の設計者と門鉄ビルの設計者が兄弟だったのです。門鉄会館は谷町に建築されたものをレトロ地区に移築したため、元々は離れた場所にありましたが、運命の巡り合わせでしょうか、現在は向かい同士に建っています。

 

というわけで、門鉄会館と門鉄ビルは兄弟!?の真実でした。

 

 

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門鉄ビルを過ぎて、現在トロッコ列車が通る線路へ。

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この線路は、昭和初期から国鉄鹿児島本線の貨物支線として使われていました。その後、廃線となりましたが、線路を再活用するため平成にトロッコ列車が運行されました。

 

さらに進んで、北九州銀行門司支店に到着。

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この建物は、旧横浜正金銀行の門司支店として昭和初期に建てられました。

この一帯は、明治期から昭和初期にかけては銀行や商社が軒を連ねていたそうです。

その当時を偲ぶことのできる数少ない建物です。

正面玄関のほうは古代ギリシャ風の円柱があり、シンプルながらも重厚な銀行建築ですので、門司港に来られた際はぜひご覧いただきたいです。

 

次は北九州銀行門司支店のお隣、九州鉄道記念館へ行きます。

 

本当の0哩~門司駅?門司港駅?~

九州鉄道記念館の入口前の一画に、短い線路と駅名標があります。「もじ」と書かれています。

門司港なのに、なぜ門司!?と思いますよね。

なぜかといいますと、門司港駅の始まりは九州鉄道の起点として明治24年に開設された門司駅だからです。2枚目の写真の0哩標跡は、その九州鉄道の起点として定めた場所です。ところが、関門連絡船の運行開始後、連絡船による貨車のやり取りが増加したため、門司駅は現在の門司港駅に移転することになりました。

 

門司港駅の歴史を紐解くと、門司港の様々な歴史的背景が見えてきますね。

 

歴史に思いを馳せながら、いよいよ門司港駅へ。

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出迎えてくださったのは、門司港駅の松尾駅長!

11月10日にオープンしたコンコースで、ご挨拶。門司港駅オリジナルのレトロな制服がお似合いです。

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松尾駅長とウチヤマさんが立っている正面の扉は、旧3等待合室があった場所です。中はまだ見られませんが、建設当初の内観が復原されるとのことです。

 

旧3等待合室の反対側にあるのは、きっぷ売り場(1枚目写真)。もちろん現在は使われていませんが、当時は小窓からやり取りをしていたようです。

写真だと分かりにくいかと思いますが、とにかくコンコースの天井が高い!

工事前の門司港駅も同じ高さだったはずですが、6年ぶりの公開ということもあってか、とても広く開放的に感じます。天井や照明も合わせて見ると、壮観です。

 

続いて、きっぷ売り場の横のみどりの窓口に入ります(2枚目写真)。

こちらは、旧1,2等待合室があった場所です。もちろん建設当初の内観を復原しています。

 

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復原された黒漆喰の壁や暖炉についても、松尾駅長が説明してくださいました。

 

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窓枠は木で作られているそうです。

 

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旧1,2等待合室の天井!とにかくピカピカで美しい!

 

豪華で重厚な意匠に圧倒されたあとは、今回だけ特別に駅長室へご案内してくださいました。

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駅長室も、天井が高くて凝った意匠になっています!

 

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駅長が蛇口をひねっている洗面台に注目です。普通の洗面台ではありません。

TOTOも欲しがる洗面台!? なのです。

 

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写真では見えませんが、昭和初期に使用されていた「TOYO TOKI」のロゴが入っています。

松尾駅長いわく、TOTOさんによると、こちらの形の洗面台が残っているのは全国でも極めて希少であるとのことです。

TOTOさんも欲しくなるほど貴重なわけですね。

 

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他にも、こんなに分厚い扉の金庫が!

 

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最後は皆さんで記念写真を撮って、松尾駅長のご案内は終了です。

こちらで紹介した部分以外のことも、門司港駅についてたくさん教えていただきました。本当にありがとうございました。

 

再びウチヤマさんへバトンタッチ♪

帰り水とは?

1枚目の写真の水道は、門司港駅の開設された大正3年頃に設置されて以来、水を供給し続けています。

終戦後の復員や引揚の人達が門司に上陸して安堵の想いで喉を潤したところから「帰り水」と呼ばれるようになったそうです。

 

洗面台が低いのはなぜ?

2枚目の写真の洗面台は、帰り水の真後ろに設置されています。

この洗面台、洗面台というには低すぎます。足を乗せられるくらい低く作られています。

それは当時の人々の身長がとても低かったから、ではありません!

真実は、蒸気機関車が走っていた頃、機関車の煙で真っ黒になった手足や顔を洗っていたから、です。

大理石とタイル張りの床も当時のままです。

開設当初のものが現在も大切に使われているのも、門司港駅ならではですね。

 

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洗面所近くの奥まった場所に飾っているのは、鏡。「誇りの鏡」と書いています。

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誇りの鏡とは?

時は昭和20年まで遡ります。故郷から遠く離れた門司港で産気づいた女性が困っているところを門司港駅職員が助けました。夜だったので病院は開いておらず、職員が自宅まで連れて行き、そこで無事出産することができました。その赤ちゃんが大人になり、結婚式にそのときの職員を招き、式終了後にお礼として門司港駅に送ったのが、こちらの鏡です。当時の駅長が感銘を受けて「誇りの鏡」と名づけました。

それからずっと、誇りの鏡は駅職員を見守り続けています。

 

続いて、駅ホームに突入!

どうして3番ホームがないの?

門司港駅のホームは4つあるのですが、よく見ると、1番、2番、4番、5番、となっています。3番がない?!

その理由は、機関車が客車を引っ張っていた時代にあります。終点から折り返すためには機関車を客車の反対側に付け替えなくてはなりませんが、終着の門司港駅は線路が行き止まりのため、機関車が反対側に移動するための線路を別に用意しました。それが3番線です。

機関車を切り返すためだけなので、ホームはないのです。2番と4番ホームの間に3番線が見えます。

 

2枚目の写真は、終着駅独特の車止めです。

 

ホームにある、見るからに歴史のありそうな蛇口。

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数年前に凍結した際に水が出なくなってしまったそうですが、それまではホームの清掃などに使用されていたそうです。

 

ホームを出て、改札口近くの関門連絡船通路跡へ。

監視孔!?

1枚目の写真の通路跡のそばの壁にある小さな孔は何だと思いますか?

こちらは、戦争末期、軍の命令で設置された渡航者の監視所跡と言われています。詳細は不明ですが、門司港は外国航路寄港地であったため、関門連絡船通路は戦時下の不審者を監視する絶好の場所であったとのことです。

現在からは想像できないような混沌とした時代背景が浮かび上がってきました。

 

 

トンネル跡の向こうは?

2枚目の写真の関門連絡船通路跡について。

1901年から1964年、下関駅と門司港駅との間で運航していた関門連絡船。関門トンネルや関門橋がなかった時代には、関門海峡に隔てられた本州と九州とを結ぶ重要な輸送機関でした。

当時、門司港駅にはおよそ100メートル先にある連絡船の桟橋へ続く通路が設けられていました。それが、こちらの通路です。

通路は封鎖されてしまいましたが、当時の面影がわずかに残っています。

通路の向こうはどうなっているのだろう、と考えつつ、門司港駅を出て国道199号線に向かいます。

 

この道路はなんで盛り上がっているの?

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こちらは、門司港駅の隣を走る国道199号線.道路が盛り上がっているのが見て取れます。

そんなに勾配があるような土地ではなさそうですが……。

 

盛り上がりを確認したあと、この道路沿いに建つ関門汽船様の会社の地下に入ります(※特別に許可をいただいています)。

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地下から見えたものは……

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穴!

この穴が関門連絡船通路跡です。門司港駅の関門連絡船通路跡はこちらにつながっていたのです。

光の隙間には門司港駅を歩く人々の足元が見えます。

そして、先程の疑問の「道路の盛り上がり」は、この関門連絡通路を作ったためにできたのでした。

 

以前、この辺りの海岸線は、関門連絡船通路を出てすぐの位置にあったそうです。そこに桟橋があり、連絡船が行き来していました。

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岸壁の跡。

埋め立てられた今となっては想像できないですね。

 

最後は旧門司三井倶楽部に戻って、レストラン三井倶楽部でランチです。

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こちらでも、ウチヤマさんが門司港駅に関する貴重なお話をしてくださいました。

 

以上で、今回の「門司港駅の謎をめぐる~105年目の真実~」は終わりです。

門司港駅の多くの謎に迫り、より深く門司港駅のことを学ぶことができた1日となりました。

 

「今まで知らなかった門司港を知ることができた」

「門司港にはよく来るのですが、知らないことが多く、参考になりました」

「知らない裏側を見ることができた。何度でも話を聞きたい。その都度新しい発見がある」

皆さまメッセージありがとうございます。

今後も門司港めぐるへのご参加お待ち申し上げております。