前回、植物学雑誌刊行に燃え石版印刷所での仲間とも溶け込んできた万太郎(神木隆之介)、険悪な仲の先輩たちにもアプローチをしとうとう執筆に加わってくれることになり仲間たちと浮かれはしゃぐのです。一方寿恵子(浜辺美波)はそんな万太郎の姿を見て自分はいらないのだと思ってしまうのでした。
らんまん第50話ネタバレ感想「石版に描く想い」
前回より一所懸命に働く万太郎(神木隆之介)は印刷所でも徐々に信頼を勝ち得ていました。そして東京大学植物学教室でも露骨なアプローチを掛けつつも先輩たちにも参加してもらえることになります。一方寿恵子(浜辺美波)は、高藤(伊礼彼方)からの求愛と万太郎への想いにさいなまれていました。様々な不安を払しょくするために万太郎に会いに東京大学に足を踏み入れたのですが、そこでちょうど植物学雑誌の目次ができたと仲間たちとお小躍りする万太郎の姿が。寿恵子は自分に会わなくても万太郎は平気なのだと踵を返してしまうのでした。
寿恵子が来たことすら気づかない万太郎は、その日印刷所で画工の岩下(河井克夫)に絵を見てみないか?と誘われとうとう石版に絵を描く技術を伝授されることになり大喜びするのでした。
この頃の石版印刷は石を彫るのではなく水と油が反発する性質を利用して刷っていました。岩下も実はただ墨で書いているのではなくその墨に油を混ぜて描いていたのです。
そこに樹脂を水に溶かしたアラビアゴムを塗る→一度きれいに取る→違う油を一定に塗る→石を水でぬらす→インクを塗る、そうすると水と油が反発し合い絵だけが紙に写るという工程に、万太郎は目を輝かせます。
ふと、岩下が万太郎が金を払って石版印刷の技術を習いに来てるのは本当かと問い「それは私らに消えろということか?私もこの手でかつての私らを殺してる」というのです。
「かつての私らは絵師の絵をそのまま錦絵にするために総がかりだった」と岩下。彫師が主版を彫り、絵師が色をあける、彫師がまた色版を彫る、最後に刷師がばれんで刷り上げて錦絵ができる、しかしこんな印刷機ができれば総がかりでやることもない。絵師や版元は名は残るがその絵を生み出した他の奴らは消えていく、それは宮下が体験した技術革新という名の淘汰でした。刷り上がった岩下の絵を見て万太郎は感嘆します。岩下は描いてみるか?と万太郎をさそい、岩下の悲哀を知る義平(奥田瑛二)は何とも言えぬ顔で見守るのでした。
万太郎は絵を描きながら、彫師や刷師はその場から散ったとしても名は消えない、それは消えたんじゃない新たな場所に根付いて芽吹いていくのだと思う、磨き上げられたものは新しい場所で合った形で変化してもっと強くなって生き抜いていくと思うと言い義平はそれに賛同します。
義平は江戸の火消しこそ最上だと思って生きてきたがそんな世は過ぎてしまった。自分も商売替えをするくらいなら江戸の町と心中してしまおうかと思ったくらい、だが代わりに今はもっと熱いものを見つけた。一番新しい時代の切っ先、皆が度肝を抜くものを見つけたんだと。石版印刷はこれからもっとすごい熱い力を持つようになると語り、岩下に国芳師匠が今この場にいたらこの技術に飛びついたと思うと諭すのでした。岩下もまた「でしょうね」とほほ笑み、そこには新しい時代を飛び越えた男たちの苦労がにじみ出ていました。
印刷所のメンバーの協力を得て万太郎の絵が初めて印刷され、万太郎は下手だと言い、宮本(山根和馬)はいい絵とは言い難いと言い、岩下はいい絵を描きたいのではない。ありのままを描きたいのだろうと批評します。そして前田(阿部亮平)はヒルゴに似ていると言い万太郎は驚きます。万太郎はヒルムシロを描いたつもりだった、前田の出身地は駿河(静岡県)でそこから地方によって言い方が違うのかもと気づき詰め寄るのです。義平と岩下はこの絵は本物を知る人間の絵だと言い合い万太郎が何かの為に懸命に学んでいることを知るのでした。
一方寿恵子(浜辺美波)は舞踏練習会に向けて必死にダンスの練習をしています。今日は高藤(伊礼彼方)とペアで踊ります。寿恵子はみるみるうちに上達、高藤は政府高官でもあまり自分の目を見ようとしないが、寿恵子はしっかり見て踊る、物おじしない、男の目を見て逸らさない婦人の姿こそこれからの日本に必要なものだと褒めました。
帰り際、寿恵子は高藤の妻・弥江(梅舟惟永)とすれ違い、弥江に「奥さまはダンスをなさらないのですか?私よりも奥様のほうが」と声を掛けると弥江は苦々しく「いまさら」と言って去ってしまいました。弥江付きの女中から世が世なら話しかけてはならない相手だ!と窘められ寿恵子は慌てて詫びました。
もうすでに寿恵子を高藤の妾候補だと皆知っているのか、鹿島(金剛地武志)も馬車で送られる際に、根津の家に帰るよりも横浜の家にお連れしたいのだと高藤の意向を言う始末で寿恵子の周りは確実に変わっていました。ふと馬車の通行を妨げる男がいました。男は馬車に目もくれず植物に話しかけています。久々に見る万太郎の姿に寿恵子は微笑みます。
鹿島は鹿鳴館ができてもあのようなみすぼらしい人間がいれば日本は変わらないと言い寿恵子は思わず反発、彼女の胸中はまだ荒れ狂いそして二人はすれ違うのでした。
前回:らんまん第49話「季節は廻り」
次回:らんまん第51話「ヒロイン略奪」
らんまん第50話ネットの反応「高藤やっぱりヤバ藤」
一人称の「あたし」がすごくいい、江戸っ子のあたしかな
万太郎の絵がどういう目的で描かれているのか線でわかるのがやっぱりプロだよなあ
あんな風な表情しか出来ないのは夫のせいだろう
妾が公だった時代とはいえ妻の自分を差し置いて他の女性にうつつを抜かし、あげくに悪評を言いふらすようでは到底自分以外の人間を幸せには出来ない
大慌てでTVをつけると、寿恵子が馬車に乗っている→別宅?の会話から、とうとう愛人を承諾したの!?と(泣)
何も知らずに寿恵子に背を向け植物に語りかける万ちゃんの後ろ姿にやきもきしたわ😣
すっかり脚本家の思うツボに😂
自分の見たい人だけ見てる。
馬車で、市井の人々を考えずに走行する場面でも それが表れてた。
らんまん第50話ネタバレ感想考察「高藤の奥様の悲哀。モデルは五代豊子か」
今回のらんまんは初めて高藤夫人である弥江さんの声が聴けましたね。寿恵子の奥様は踊られないのですか?の問いに思わず「いまさら」と答えてしまう、本妻の苦渋が見て取れました。そして世が世なら話しかけてはならない相手だと女中に叱られたところを見ると弥江さんは良いところの子女出身であったのでしょう。
高藤さんのモデルが五代友厚だとすると弥江さんのモデルはその妻・豊子だと思います。豊子は儒家・萱野恒次の三女で兄は外交官、富山県知事、貴族議員を務めた森山茂で、多くの勉学に触れ真面目な少女時代を送ったと思われます。
史実の五代友厚と豊子の結婚は五代の母が強く望み、五代自身は望んでいないものであり母が亡くなった後は高崎正風や五代東之丞らに離婚について相談をしたという記述が残っているほどです。
高藤さんは以前弥江さんのことを「つまらない女」と評しましたが、モデルが豊子さんだとすると、儒家の娘であった弥江さんは高藤からすれば東洋文化まみれの女に見えたのかもしれません。弥江さんも弥江さんで、女は耐え忍ぶというものに縛り付けられ何もできず鬱々としていたのかもと思うと弥江さんの悲哀もわかるというものです。
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