前回、万太郎(小林優仁)は蘭光(寺島康文)から多くの薫陶をもらいました。新しく実装された小学校ではレベルの低さに辞めるという選択肢をとります。
それから数年、成長した万太郎(神木隆之介)は美しい花「ジョウロウホトトギス」と出会うのでした。
らんまん第11話ネタバレ、感想「峰屋の酒を博覧会に」
前回、自分の学びに小学校はレベルが合わないと感じた万太郎(小林優仁)はさっさと小学校を辞めてしまいました。
それから数年、18歳になった万太郎(神木隆之介)は知識欲の塊となって今日も今日とて美しい植物に触れ合う日々を過ごすのでした。
明治13年、峰屋は今年も酒造りが始まっていました。竹雄(志尊淳)も立派に成長、綾(佐久間由衣)も縁談が引く手あまたでしたが気が乗らない様子です。綾は家業に熱心で祖母・タキ(松坂慶子)は「綾と万太郎足して割りたいくらいじゃ」と嘆く日々でした。
竹雄が万太郎の部屋に行くといつも通りもぬけの殻、大事な酒造り初日だというのに裏山で植物に熱中してしまっていた万太郎もまずいと急ぎ戻ります。
急いで戻る万太郎の姿を見る人々は峰屋の将来を危ぶむのでした。
万太郎がすでに戻ると神主が蔵入りの祝詞を上げる儀式が始まっていました。万太郎が来ないと思っていた綾たちは驚き、空気を読まず笑顔を向ける万太郎に綾と竹雄は説教をします。
酒造りは蔵人がやってくれる、せめて蔵元はそれに真心を尽くせ、綾の言い分はもっともでした。
綾は一人蔵の中を覗きます。そこは彼女には入れないところでした。頼りない万太郎はやすやすと入れるのに綾にとっては禁忌の場所です。酒造りを愛す綾を幸吉(笠松将)が眺めていました。彼は今年から麹屋となり峰屋の酒作りを支える一人となるのです。
綾は幸吉に麹屋とはなにかと聞き酒造りの工程が気になることを伝えます。幸吉は蔵に入らなくても教えることはできますと伝え綾はとても嬉しそう、二人は急接近するのでした。
夕方、万太郎の元には寛太(新名基浩)が訪れていました。丸い黒メガネは変わっていません。寛太に学校の先生の伝手で植物の書物を借りたいとお願いしていたのです。
寛太は万太郎に植物を語る友達はいるか?と問います。万太郎はどこ吹く風で植物図鑑の著者「里中芳生」「野田基善」が心の友だと笑い寛太を呆れさせます。
そこへ峰屋にお役人が訪ねてきます。東京で内国勧業博覧会という催しをするから峰屋も酒を出店しないかということでした。
しかしタキは受ける気はない様子、「深尾のお殿様のお口にあった献上品であった酒をどこの誰ともわからんものが批評する、下劣な催し」とこき下ろすのです。
東京に行きたい万太郎は驚いて「パリやアメリカでは博覧会が盛んにおこなわれている。徳川の昭武公も観に行っている。博覧会で産業の切磋琢磨をしている、下劣なものではない」と反論します。
万太郎の熱弁にその場にいた全員が目を見開きます。東京にいる深尾の殿様も喜ぶ、という言葉にタキも納得、皆は万太郎が初めて当主に見えたと感嘆するのです。
しかし万太郎は植物学者に会いに東京に行きたい一心でした。東京行きが決まりガッツポーズです、そこに意外な客が訪れます。
数日でやめてしまった小学校の校長(谷川昭一朗)が万太郎に教師をやらないかという話を持ってきたのでした。
前回:らんまん第10話「万太郎の決断」
次回:らんまん第12話「綾の葛藤」
らんまん第11話ネットの反応「三角関係に沸く」
ここのシーン好き♪
因果なことよ……。
子役と大人役の新名基浩さんソックリ〜
んん❗️
このお方は…
「舞いあがれ」の空先輩っ
(*’▽’*)
大人パートになって恋模様が見え隠れしだしましたね。寛太君の子役から大人へのバトンタッチが違和感なさすぎて好評のようです。舞いあがれの空先輩が再び登場したとも話題になっていますね。
さっとあらすじをよみたかったらこちら
らんまん第3週あらすじまとめ
らんまん第11話ネタバレ感想考察「免許なしでも教師になれる。内国勧業博覧会は2回目の開催」
今回、内国勧業博覧会にかこつけて東京に行ける!!と大喜びの万太郎(神木隆之介)は、峰屋の酒を国中にと祖母・タキ(松坂慶子)に吹聴しましたがタキが下劣と判断したのには以下のことがあったからだと思われます。
というのも、明治10年に開かれた第1回内国勧業博覧会は大久保利通の肝いりであったものの、西南戦争の後に行われ尚且つコレラが蔓延していたので期待値を上回るものではなかったそうです。
今回の舞台は明治13年、翌年の内国勧業博覧会に出品するということは2回目の開催です。
この開催に合わせて、上野寛永寺本坊跡に煉瓦造2階建の建物が出来上がります。現在の東京国立博物館(通称:東博)がある場所に出来上がっています。
この建物は後に上野博物館としても使用されるなど現代にも残るものです。
さて、東京行きに沸く万太郎でしたが、そこに小学校時代の校長先生が教師にならないかと訪れます。
当時教員免許らしきものは当然ありました。最初に赴任してくる人たちは師範学校でちゃんと教員としての勉学を得て資格を取りますが、小学校の数が増えるにつれ教員の数が足らなくなる事態が起こっています。
(多分前話で小学校に来た先生は師範学校で免許を持ってるエリートです)
なので教鞭をとりながら教員の免許をとる、知識人をそのまま教職につけさせるなど明治初期は多々ありました。
万太郎もそれに該当するわけですね。好きなことにしか興味のない万太郎が教師として大成できるのか、内国勧業博覧会は成功するのか、万太郎は東京の植物学者に合えるのか、次回も楽しみですね。
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