前回、万太郎(神木隆之介)の元に飛び込んだ寿恵子(浜辺美波)は万太郎の植物研究はいばらの道であること、苦労することを知らされます。万太郎の都合だと突っ込む丈之助(山脇辰哉)の言葉も踏みしめ、それでも一緒に歩んでいくと決めるのでした。
前回、万太郎(神木隆之介)の元に飛び込んだ寿恵子(浜辺美波)は、十徳長屋の住人たちが見守る中、万太郎の思いを真摯に聞きます。植物研究の道はいばらの道、決して楽はさせてやれない、だけど一緒に歩んでほしいと。
住人の一人・丈之助(山脇辰哉)からはそれは万ちゃんの都合だよねと突っ込まれるほど無理難題でした。
しかし好きだからこそ最後まで完結させてほしい、完結させるからこそ誰かに見てもらえるのだと答えた寿恵子に丈之助も感銘を受け二人を応援するのでした。
翌日、万太郎は寿恵子の母・まつ(牧瀬里穂)に結婚の許しを請いに白梅堂を訪れていました。まつは釣書も正式に仲人になる大畑夫妻から受け取っているし人柄も知っている、しかし研究には金がかかりそのお金の出どころはどうするのか、金の苦労はさせたくないというのがまつの気持ちでした。
万太郎は寿恵子と相談し「八犬伝方式」と銘打ち、図鑑を分冊にして販売しその売り上げで次の発刊の資金にする腹積もりでした。寿恵子は私も働くしと無邪気ですが、まつはそんなにうまくいくのかと懸念が拭えません。
そして白梅堂で働くことは考えないでほしいと言い、なんと文太(池内万作)が実家に戻るめ白梅堂を閉める予定で、しかも柳橋時代から支えてくれた文太に恩返しをするから自分も文太についていくことを考えていると爆弾発言。文太は驚き寿恵子と万太郎も思わず口に手を当てて照れてしまいます。
自分は離れてしまう。助けてほしい時もすぐに駆け付けてやれない、揉めても生活はのしかかってくる、それでもやっていけるのか?と心配する母心のまつに、万太郎は、苦労をかけるけど苦労をかけっぱなしにはしないといい、寿恵子も大丈夫私はおっかさんの娘だからと二人は固く誓うのです。
まつは、「困ったときには叔母・みえ(宮澤エマ)を頼れ、今はかんかんに怒っているけど」と言い二人の仲を了承するのでした。
それから万太郎と寿恵子は夜通しかかるといい、寿恵子の部屋に籠りました。やましいことをしてるのではないかと案じるまつらでしたが、やっているのはオタクのオフ会よろしく、「八犬伝鑑賞会」若い二人に笑みしか漏れないのでした。
それから半年、春を迎え、万太郎、寿恵子、竹雄(志尊淳)は結婚の了承を得に佐川へ帰郷していました。繁忙期を避けてという気遣いでした。道中、マルバマンネングサを見つけた万太郎は寿恵子にどのようなものか教えるなど楽しい帰り道でした。万太郎の植物談義を笑顔で聞く寿恵子の様子を竹雄もまたほほえましく見ていました。万太郎を理解する女性が側にいることがこの上なく嬉しかったのです。そして自分が助手としてやっていた役を寿恵子に伝授しようと決めたのです。
峰屋では体の弱ったタキ(松坂慶子)は寝込み、綾(佐久間由衣)は酒蔵を狙う造国税に苦しめられる日々、その年の酒蔵の仕込みを終える甑倒し(こしきだおし)の日にわざわざ役人が来て峰屋の中を改めようとするほどです。
「甑倒し(こしきだおし)」の日は蔵人たちが半年間自分の村にも(帰らず家族にも会わず、ひたすら酒を造ってくれたそれを労う日でした。そんな大切な日を役人に荒らすわけにはいかない綾は土下座してまで役人・上田甚八(平原テツ)を止めるのでした。
大店の女主人を大きな往来の真ん中で土下座させてしまった役人も引き際を考えあぐねている様子、そこに万太郎が帰ってきたのでした。
前回:らんまん第56話「あなたの伴侶という冒険」
次回:らんまん第58話「大店の斜陽」
らんまん第57話ネットの反応「あざとかわいい二人」
” お金は大丈夫です “
” 生活は大丈夫 ” と言う
万太郎と寿恵子
( 2人共 半笑い )
綾が土下座をしてるところに
カッコよく登場する 万太郎
どっちも万太郎 ✨
お金は関係ない!とか言いたいけど、貧乏の大変さを思うと、やっぱり そんなことは言えないよねぇ。
私も含めて、やりくりに苦労してる人の方が多いだろうし。
(来年の大学入試、学費、仕送り😭)
土佐弁使ってた役人三人、恐らく上士の出だろ。
元々土地にいた長宗我部の士族ではなく関ヶ原後に来た初代山内の士族だろ。
幕末、どっち付かずの風見鶏のクソ上士が権力に群がった典型的クソ人間。
似た者同士www
あざと可愛いぞwww
らんまん第57話ネタバレ感想考察「造石税と現在の酒税。日本は世界一酒税が高い国」
波乱づくめだった東京パートでしたが、前回ようやく結ばれて今回も大団円になって終わるかに見えましたが、佐川に来たと同時に不穏な空気になってしまいましたね。
以前も書きましたが造国税はとてもえぐく、造石税実施後は、明治11年は30000人いた酒類免許人数は明治45年頃には14000人程度に減っていました。しかし造石数(酒の量)は変わらなかったので、時代に対応できなかった老舗の酒蔵が消滅し、商才のあった酒蔵が生き残り収益を伸ばしたという傾向にあったようです。
峰屋がどれだけ生き残るのが困難かわかりますね。この造石税、なんと昭和19年までに実施されており、本当に戦費調達のための税で、国家予算の役40%が造石税で賄われていました。
現在の酒税になったのは1953年(昭和28年)で現在の国家予算の2%ほどが酒税になります。しかし海外から見ても現在の日本の酒税は世界一高いんだとか。
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