前回、人々の協力を得て万太郎(神木隆之介)は新種「ヤマトグサ」の発表、日本植物志図譜の発刊をすることができました。一方、田邊教授(要潤)の許にはトガクシソウの命名が危ぶまれる状況になる報がもたらされるのです。
らんまん第76話ネタバレ感想「トガクシソウの結末」
前回、万太郎(神木隆之介)は、様々な人々の協力を得て、大窪(今野浩喜)とは新種「ヤマトグサ」の発表、そして妻・寿恵子(浜辺美波)や十徳長屋の人々の合力により、石版印刷機の設置、自費での日本植物志図譜の発行をすることができたのです。
寿恵子は、年越しまで自分を顧みず研究をする万太郎を叱ることなく見守るなど賢妻っぷりを発揮、そしてしばらくしたころ妊娠が発覚し万太郎は幸せの極致となるのでした。
一方、田邊教授(要潤)の許には、許しがたい報告がもたらされていました。伊藤孝光(落合モトキ)が、田邊教授に先んじて、イギリスの雑誌にトガクシソウを新種とし自分の名前を付けて発表したというのです。
それはもう田邊教授の名前を付けて世に出せないことを表していました。
大学で研究を続けていた万太郎と波多野(前原滉)の許に藤丸(前原瑞樹)が植物誌「JOURNAL OF BPTANY」をもって駆けてきました。「JOURNAL OF BPTANY」にはシーボルトの弟子で小石川植物園の伊藤圭介の孫・伊藤孝光(落合モトキ)が論文を書いていると聞いて藤丸は心躍りながらかけてきたのでした。
ケンブリッジ大学に行く前に一度会ったがもう論文を発表したのかと万太郎は感心するばかり、そしていざ何が書いてあるのだろうとみると三人は驚愕します。そこには田邊教授がロシアのマキシモヴィッチ博士に送ったトガクシソウが、先んじて新種として発表されていたからでした。
そこに、徳永教授(田中哲司)と大窪(今野浩喜)が現れ「やられたな、こんな手があったなんて」とため息をついていました。
万太郎は留学前に孝光と話した時のことを思い出していました。田邊教授を「泥棒教授」と呼び、祖父と叔父と自分の3代で追いかけてきた新種を田邊教授がかすめ取ろうとしていると不快感を隠さない姿。
伊藤孝光と会った時どうであったかと聞かれ「トガクシソウにはこだわっていた」と答える以外にありませんでした。
波多野は「Ranzania.T Ito」と書かれた学名に注目。それについて徳永は、本草学者・小野蘭山を表し、旧本草学の大家蘭山の名前を冠し伊藤孝光が学名を発表する「戸隠草は渡さない」という伊藤家の執念だと発言するのでした。
万太郎は田邊教授はどうなるのかと聞くと、徳永は「もう遅い」と言葉すくなに言い、思わず教授の許へ行こうとする万太郎を皆がとめるのでした。かわいそうでも何でもない、それが学者の世界、どれだけ金をかけようが調べようが一手負ければそれで終わりなのです。
トガクシソウには先んじられましたが、万太郎が東大所属の大窪と共同研究としてヤマトグサを発表したことにより、東京大学植物学教室の面目は保たれた形にはなっていました。
藤丸は息を飲みます。あれだけ採集旅行をして段取りをして、花が咲くのを待って、でも先に発表されてしまうのが「仕方がなかった」で終わる世界、彼を疲弊させるのは十分でした。
大窪も自分とて平気ではない、しかし次の新種を見つけるしかないのだと藤丸を叱咤しました。
波多野は波多野で別の見解を持っていて、伊藤孝光は馬鹿なことをした、こんなことをしたら先がない、帰国してもどこの植物学者も彼を受け入れないだろう。伊藤を受け入れるということは東京大学を敵に回すということ、伊藤はケンブリッジ大学に行った挙句、家に引きこもるか、中学で教鞭をとるぐらいしか道はないのだと吐き捨てました。
大窪は、それでも伊藤孝光は一生を棒に振ってでも「伊藤家の名誉」を守ったのだと説き伏せました。
藤丸は植物の研究と命名がそこまで命を懸けるものなのかと疑問が拭えません。誰が発表したとて花は花、東大に居たらそうは思っていられない、もともとヤマトグサも雑誌も牛鍋屋で、新種ではないかと万太郎と波多野と騒いでいただけだったのが始まり、それは今では学会誌となって最前線になってしまったと心がついていかないのです。
波多野はそうだ、自分たちはそれを目指していたんだろう?と藤丸を諫めますが、どんなに研究したって明日すべて無駄になるかもしれない、そんなの心が持つんですか…ともう藤丸は折れかけていました。
徳永教授はそれでもやる、ここはそういう世界だ、一人一人が自分と戦う戦場、他人がどれだけ成果を出そうが自分の研究で成果をだすしかないのだと諫めるのですが藤丸は耐え切れず外に出て行ってしまいました。
藤丸の精神が弱いことは皆わかっていますが、波多野はあえてもう自分たちは4年生で卒業したら学者になるのだ、だから変わらないといけない、誰だって先に発表されて成果が無駄になるのは怖い、だけどそこで折れたら全部やってきたことが否定されてしまう、だったら競い続ける方がましだと叫ぶのでした。
藤丸は、うさぎを撫でながら今までのことを思い出していました。うさぎが美味しそうに食べていたからとシロツメクサを持ってきた万太郎の姿、牛鍋屋で波多野や万太郎、丈之助(山脇辰哉)と雑誌を作ったらいいと笑ってた姿、それが我先にと研究を発表し合わなければならない世界…彼の心は途方もなく疲れてしまっていたのです。
一方、トガクシソウを完全に伊藤孝光に出し抜かれてしまった田邊教授は浮かない顔で帰路についていました。家の前では妻の聡子(中田青渚)が待っています。
冷えるから家の中で待っていろと言っただろうというと、聡子は嬉しそうにここで待っていたら女中よりさきに「おかえりなさい」が言えるからとほほ笑みました。
少し田邊の様子が違うことに気づいた聡子は風邪の引き始めかもしれないと薬の用意をしようとしますが田邊は彼女の腕を取って呼び止めます。
別のことを考えていたといい「聡子はシダににているのかもしれない」と植物の前に座り込みました。
「シダは花も咲かせず、種も作らない」それを思い出した聡子は「子は産めます。前の奥様にかなわなくてもきっと」と切羽詰まったように言うので田邊は慌てて「得難い」という意味だと妻を見ました。
そして「私はお前の静けさを愛しているんだ」と続けました。
聡子はとっさに「お仕事でなにかあったのですか」と問い、田邊はいつもの通り「言ってもわからないだろう」と返します。
聡子は夫がそれ以上立ち入ってほしくないと気づき「はい、わかりません。申し訳ありません」と引くのでした。
万太郎はトガクシソウに関する一連のことに憂鬱になりながら帰宅しました。そこでは寿恵子が疲れたように眠り、何かあったのかと万太郎を心配させるのでした。
前回:らんまん第75話「トガクシソウ奇譚」
次回:らんまん第77話「心優しい者の迷い」
らんまん第76話ネットの反応「学者としての在り方よりもこの時代の日本の考え方って感じがする」
研究成果をめぐって、刃傷沙汰になった知り合いを思い出した😰
だったら…競い続けるほうがマシだろ!』が大戦中の日本の考え方と似ていてヒッとなった。
#らんまん #朝ドラらんまん
おもち、雪丸、とうふ
藤丸さん、メンタルピーターラビットにならんと学者で生きていくの大変そう・・・
だからあまり人とフィールドがかぶらないように気を遣う。でも鼓舞しあって刺激しあうのも大事
「言ってもわからないだろう」と冷たく言い放つ田辺。
だけど、仕事の愚痴を家でこぼさないのは立派な事だと思う。
愛する聡子の静けさを壊したくないんだろうな。
東大勢からしたら横紙破りなやり方だけど、伊藤家からしたら三代の悲願という、まさか孫が人生棒に振ってまででもやり遂げるそこまでの覚悟だったとは…(と描くところがすごい)
こんなテンションで始まるとはむしろスゴいな! #朝ドラらんまん
「誰だって怖いに決まってる。でもこのままだと、かけてきた時間まで否定することになる。
「だったら…競い続けるほうがマシだろ!」
いっしょに研究してきたからこそ、そうは言っていられない現実を受け入れ、藤丸の言葉を否定する波多野…。#朝ドラらんまん#前原滉 pic.twitter.com/9jSap9CNix
— 連続テレビ小説「らんまん」 (@asadora_nhk) July 16, 2023
らんまん第76話ネタバレ感想考察「博物館で里中が伊藤を止めたのか彼の人生を心配していたから」
今回トガクシソウについての疑惑がとうとう終結しました。2週間くらい引っ張っていたんじゃないでしょうか。
田邊教授が出し抜かれた件と、藤丸が心を疲弊した回として最初は認識して視聴していましたが、波多野のセリフで一気に見方が変わりました。
今回、東京大学植物教室の面々は田邊教授が出し抜かれ研究がだめになったことに頭を抱えていました。しかし波多野だけはこういいました。
「伊藤孝光は馬鹿なことをした、こんなことをしたら先がない、帰国してもどこの植物学者も彼を受け入れないだろう。伊藤を受け入れるということは東京大学を敵に回すということ、伊藤はケンブリッジ大学に行った挙句、家に引きこもるか、中学で教鞭をとるぐらいしか道はない」
これです。事実モデルの伊藤篤太郎は、ケンブリッジ大学から帰国した後は、東京府尋常中学校、愛知県尋常中学校、鹿児島高等中学造士館、愛知県立第一中学校で教職に就く傍ら、祖父を顕彰する本の執筆を行っています。結果的には祖父の伝統的な本草学を継承、博物会の雑誌「多識会誌」の編集なども務めます。
そこで一生を終えるかという55歳の頃、今でいう定年を前にする年齢で初めて1921年にようやく東北帝国大学の生物学科の講師になっていますが、教授にはなれなかったのです。
彼は日本人初の新種の発見者として名を刻みながらも結局在野の植物学者として一生を終えるしかなかったのです。
里中先生がトガクシソウの件で激昂する伊藤を早まるなと諫めるシーンが博物館でありましたが、これをしたら一生が終わると里中は見抜いていたのです。あれは伊藤がしでかすことがあまりにもやばいと気づいていたという伏線だったんですね。
もう一つの伏線「徳永助教授の反応」
今回、徳永助教授は藤丸の嘆きを見ながらも「それでもやるのが研究の世界」だと言い、伊藤を咎める発言をしませんでした。
これもまた伏線なきがします。伊藤は後年、徳永助教授のモデル松村教授と「琉球植物説」を発表しているのです。トガクシソウ事件からおよそ11年後のことです。
一生を棒に振ってでも伊藤家の名誉を守り発表した伊藤を評価していたのかもしれません。当時の松村教授ならほかの人脈も十分あつかえたでしょうから。今回の徳永助教授の反応何週間後かの伏線なきがしています。
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